だめすぎ、、

もう本当にだめになっている
私は頭の中になにもなく、そして愛もないから ほんとの意味のひとりになって、生きてても仕方ないからなくなりたい、、、
機械みたいに決められた、脳を使わない動きしかできなくて、人間の人間らしいゆらぎとかその人らしさが全部こわい。
日本語できない、人とコミュニケーションしたことない、、
だから全部嘘なんだけど笑うしかなくて 笑顔だけはなんの屈託もないものを表せるみたいなので誰にも気づかれない、(それでいいんだけど)
人間やってく資格ないのに名簿などで私の名前も等しく一行の幅をとっていて それは困るの
もう名字も自分から遠く離れたものになった
名前だけは、改めてみると、ほんと両親には申し訳ないけど 気持ちの悪い私を表すものとして自分として感じられる なくなってほしいのだけど
文字にするときっと私の知恵遅れぶりがあらわれてふわふわして丸くなるんだけど ほんとはもっと黒くてとがってて呑み込むの

頭の回転が地球の公転より遅い

大学を中退した。
花屋のバイトをやめた。
専門学校を中退した。

全部人とコミュニケーションとれなくて。
会話ができないってなんにもできないよ。

でもどうしてもまた花屋で働きたくて、今度はうまくやりたくて、まだ若いから希望を捨てきれない。

将来の夢のうちひとつは花屋で働くこと、もうひとつはカフェで友達と話しこむこと。

小さい頃からボーっとして生きとって、人と会話できんくて、悲しい人生やな。

やけど、高速音読と0秒思考っていう頭の回転速くするらしいトレーニング、しとって、なんか変わるかなあって。2年続けたいの。あとコミュニケーション講座?話し方教室?も通うことにした。ほんで人と会話できるぐらい頭追いついたら、花屋で仕事したい、、、

思考停止だけは得意やから、じっととまって祈ります。信じます。

“ハタから見りゃ そらのんびり
でもとっくにギリギリなんだ”

教えてください!

最近絵を教えてもらってる先生が自分のことを 自分はなぜか?と常に考える人だと言ってる。

私はなぜか?て考えることをあまりしてこなかった。先生と対照的なそれはなぜか?て考えたら、私は物事の起こる理由とか、因果関係とかに興味がない。だっていくらそれを考えたって人間が、自分が、ここにいることの意味はどうしてもわからない。わからないまま生まれて生きて死ぬのに どうして全て辻褄が合わないといけないのか。完全にその意味がわからないもののほうに興味がある。

自分の心の中でそれは起こっていて、例えば今日は自分の小さい頃の心の状態のことをなんとなく思っていたら「3枚の桃色の花びら」ということになったけど意味がわからない。心の中にその映像が映った。そしてある日の寝る前ぼーっとしてたら静かな緑の部屋がまぶたの中に映っていた。そしてまた別の日はスマホを長い時間みてしまい目が疲れて嫌な気分でスマホを閉じると部屋においてる植物が柱と少しかぶっていてそれに腹が立った。(は?)

こんな風に理由がつけられないことが起こる、そのほうに興味がある、理由がつけられないのでそれに対してなんだ?これは、、でも、なんか、きれいなとかなんか、合ってる気がするみたいな、心の動きを重視してしまう。

自分がなんかするときだって、体力ないからランニングするぞーなんていうのは誰からみてもちゃんと理由がある行動だけれど つまらない。
本当に楽しいことは、理由が先にこない。「、、、っあ!今日は、りんごの皮をきれいにむくということをしようかな?」(でも、なぜ急にこれを思うんだ?知らないけど、今はこれにすごく惹かれる!)みたいなことになる。

とにかく理由とか論理より心が振ったほうに、知らないけどなんかこれをしてたわというのを信じていきたい。わからない人生を生きる上でそれだけが指針になるような、気がして、(なってほしくて?)願っています、、

もしこのブログ見てる人がいたら、教えてください。論理的に説明できることと、説明できない、隙間のことについてどう思ってるかとか、なんか、なんでもいいので、コメントくれたらとてもとても嬉しいです。

ゴミ出したらきれいになった

最近、やっぱり、自分にはコミュニケーション能力が圧倒的!に足りなくてどうにもこうにも生きづらい性質があるんじゃないかなって思って残念ーってかんじだった。
けどさっき思いついたのは、
自分は人より人に対してなつくのに時間がかかるだけだ
っていう文ね!
なつくって素敵な言葉、、
星の王子さまで、王子さまときつねが言葉を交わさずとも絆をつくっていくシーンがあってそれをなつくっていっていたね、ああ絶対こうでありたい!と思った

実際、挨拶しか交わしたことがないけど長い間知っている、マンションの管理人さんに私はなついていると思う

だからきっとこーんなに会話がへたくそでうまくやっていけなくても、愛ができるんだ、
いつだってひとりな気がするし、人の中にいると必ず浮いてしまうけど、それでも、、思い出すと涙が出てくる人がいるし、まだ会ったことのない愛すべき存在に思いをはせることができる

それってぜんぜん捨てたもんじゃないよね?

生活記録

悲しいときって、悲しいけれど、景色や色やさまざまの自然のものが光ってみえるよね 多分心が澄むからだと思う 楽しいときはそういうものは無言でいてただ流れていくものになる そのとき私を主人公にしてくれているのかも

仕事ってなんだろうって思う
今のバイトにて求められてる仕事できる人になるための要素って私にはぜんぜん魅力的でなく、どうでもよくて興味がない
私が進んでわくわくして時にはそれによって絶望したり最高に中に入ってしまうものは!

日記

バイト、めちゃくちゃやめたくて、ストレス過多な環境にいっらいらしてたけど はたから見たらもっとあなたは自分から話したほうがいい って言われてああ、私が悪かったの!と思っていろいろすぐに申し訳なくなってなんにも話せなくなった!

で、それで、そこから自分を許してというか自分でいるのでなく心、中心、大木となった私がずんずん前に出てきてその状態で帰ったら センスいい自販機見つけたりして楽しかった、、

料理をしたのですがそれも始終楽しくできた、つぎつぎを考えるのではなくね。

社会不適合

愛について考えて生活していたら 資本のことを考える人に怒られた。
いつもぼーっとしてるし、遅いし、段取りが悪いし、なにも言わないし、あなたの必要性がなくなるよ、って、
自分が、資本の人からみたらまじで使えない奴で笑える、、
でも私は心からの行動しかしなくて言わなくて、そんなことより  少しの気づきとか幸せが大事で、必要性があってもなくても私はここにいるしなって思っちゃうそんな自分がすきだな
心のままに、ほんとうに自然に生きてたいよ!!
泣いちゃうな、いいよ。